普通のOLから博士課程へ 自分には無理だと号泣したことも

お名前:藤平春加(フジヒラ ハルカ)さん

留学先:Griffith University Nathan Campus

藤平春加さん

藤平春加さん

20代のうちに帰国するつもりで留学

きっかけは大学生の時に行ったブリスベンでの半年間の語学留学です。

語学力は上達したものの、専攻はなくそのまま帰国。多くのクラスメートは大学進学を目的として通っている人が多く、語学のみで帰国したことが心残りでした。以来社会人経験を積んだ後、自分の専門分野を学びに戻ってきたいと思っていました。 

大学卒業後は半導体の輸入専門商社でマーケティング部の事務職に就きました。入社3年目に大きなクライアントを任され、経験を積みつつ、資金を貯めながらタイミングをうかがい、28歳になった頃ようやく留学の決意ができました。しかし時間、予算、足りないIELTSスコアなど最初は自分に自信が持てず、大学院進学と悩んで最初に選択したのはICC国際交流委員会が提供しているIBPというプログラム。

1年で語学学校3カ月+大学学部での授業3カ月+インターンシップを経験できる内容で、これなら英語も大学の授業も経験でき、仕事のスキルを身につけられると思って参加しました。今後の選択肢を考えると20代のうちに修了できるのもいいなと当時思った点です。  

雲の上の存在だった大学院に進学し、博士課程に

ところが、語学学校中あきらめきれず受験したIELTSのスコアが6.5、大学院に入学できるレベルに達していたのです。それまで大学院は自分には手が届かない雲の上のような存在と感じていましたが、現地で出会った学生達の生の声も刺激となり、自分の気持ちに正直になってチャンスがあるなら挑戦してみようと思いました。  

みんなについていけず大泣きした修士時代

こうして大学院のマーケティング学修士課程に進学。マーケティングは事務職の経験はあるものの、独学のみの私です。大学院の授業は、基本知識・職務経験がある前提で進みます。予想以上の進度と課題の量に最初はついていけず、引きずられるように日々が過ぎていきました。なにせ横に現役の社長やマーケティングのプロがクラスメートとして座っていたりするのです。

課題の説明も最低限なので1週間経った頃、先生の部屋に行き「情けないですが課題に対する自分の理解が足りないので、疑問点を確認させて欲しい」と相談し、「こんなことで修了できるのか…」と泣いたこともあります。

また、大変だったのはグループ課題の多さ。メンバーと分担してレポート執筆をしていた時、2週間かけて仕上げた自分のパートを「内容が弱い」と一言、提出前日に指摘され、自分が足でまといになっている情けなさでパニックに。またも泣きながら深夜メンバーに「どう弱くてどう直したらいいのか教えて。明日までに直すから」と電話して、徹夜して仕上げたこともあります。結果的にその課題はグループで100点を取ることができました。

13週間のセメスターのうち、最初の5週間は、学べる嬉しさと、自分の力不足さの間で揺れている気持ちでした。慣れてくると、誰にでも得意不得意があることが見えてきました。完璧でなくていいのだと、グループメンバーの得手不得手を把握し、どう自分がグループのために貢献できることを考えるようになりました。

今思えば、オージーは自信をもってしっかり意見する人が多いので、最初は必要以上に委縮してしまったのだと思います。徐々に私も意見や提案をしっかりと言えるようになりました。そのうちに、この環境がこれ以上ない恵まれた環境であることに気づき、足りない自信と知識は努力でカバーしようというスタイルが基本に。できるようになってくると大変な課題もやりがいがあり、最後には成績上位5%に入ることができました。  

修士コースワーク修了が近づいたある日、自分でも思いもよらない展開が待ち構えていました。一番好きだったソーシャルマーケティングという授業の担当教授から、修士論文を書くオーナーズ課程へ進まないかと、学費半額免除の奨学金のお話をいただいたのです。元々NGO活動をしていたため、自分の興味と専攻が合わさったこの分野は私にとって運命的でした。やりたい、が、予算が厳しい。その旨、正直に話すと研究アシスタントとして働き、その給料で残りを工面してはというありがたい申し出をいただいたのです。こうして人生初めての研究の道へ一歩踏み出しました。  

オーナーズの1年は、自分の研究トピックであった州政府の歩行通学推進キャンペーンの他にも肥満防止、運動推進アプリ、アルコールの飲みすぎ防止、オーストラリア軍基地での食生活向上などなど多岐にわたるプロジェクト研究に携わらせて頂きました。

その間、ブリスベンの留学生親善大使の日本代表、大学のイベント運営リーダー、一般企業でのインターンシップやアルバイトなど興味のあることには全て挑戦した大変充実した時でした。

修士論文は無事一番上の評価をいただき、卒業。この頃には就職よりも研究を続けたい気持ちが強くなっており、博士課程奨学金に応募し合格。博士課程は最初の1年は仮学生。1年がかりでコンファメーションと呼ばれる研究計画書と研究案のプレゼンテーション準備を行い、それに合格して初めて正式な博士課程生となります。最近無事コンファメーションを終え、ようやく博士課程生になることができました。  

小さな目標を一歩一歩クリアしてきただけ

博士課程というと「そんなこと私にはできない」とよく言われますが、そんなことはありません。私ももともとは普通のOL。成績も優秀ではありませんでした。私が日々気をつけていたことは、小さな目標を立て、それを一つひとつクリアすることです。

千里の道も一歩から。たとえば「授業中1回発言する」「○回は手を挙げる」「一番前に座る」そんな小さなことからです。そこから1歩ずつ階段を上がるように目標を増やしていきました。他にも手の届く範囲で工夫をしていました。たとえば語学学校時代、クラスメートは日本人と中国人が半々でした。これでは英語の上達に限界があると思い、見つけたのはスモーキングエリア。

私は喫煙者ではありませんが、そこはネイティブの学生が多い格好の談笑場だったのです。毎日通って会話の輪に入ったことで、英語の練習にもなったし友達づくりにもなりました。また、最初は「大学院=みんなすごい人たちばかりだ」と萎縮していましたが、話すと思っていたのとは違い、会話を通じて「案外普通の人なんだ」「私でもできるかもしれない」と感じられたこともよかったと思います。  

今、大学に博士課程研究員として残り、ソーシャルマーケティングの分野で政府や企業など外部プロジェクトに関わったり、学部授業を担当して大学生たちにマーケティングを教えたりしています。ソーシャルマーケティングとは、たとえば、肥満防止、アルコール依存症防止といった社会的なテーマを、マーケティングを使って人々の行動変化を起こすといった分野。 今は、自己肯定力のメカニズム実践とオフィスで長時間座りっぱなしの労働者をどうやってこまめに運動させられるか、そのためにはどんな仕掛けが必要かといったことを研究しています。  

あなたにとって留学とは

私にとって留学は人生のターニングポイントでした。ここにこなければたぶん今も日本で前と変わらないOLの日々を送っていたでしょう。

1年留学して海外転職を考えていましたが、思いがけず博士課程への道が開け、私は研究が好きなんだということに気づきました。できないことだらけで追いつめられたことで、自分にはこんな力と夢があるんだと知ることができたのが一番の収穫だったかもしれません。

この方が利用した会社/学校

留学手配会社名 Griffith University / グリフィス大学
所在地 〒 Brisbane
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