公開:2019-01-07 更新:2019/07/30
中間・期末テストを廃止。担任制を廃止して「全員担任制」を導入。“意味のない校則”を廃止。さまざまな改革を断行し、話題になっている千代田区立麹町中学校。その一部始終を表した『学校の「当たり前」をやめた。』はベストセラーに。著者で、同中学校の工藤勇一校長に改革への想いを聞きました。
天野:本にも、麹町中学校で様々な改革を行っていることが書かれています。改革の狙いは何なのでしょうか。
工藤:教育の目的は、本来、子どもたちが将来、社会の中でよりよく生きていけるように育てること。ところが、今の教育はそれと真逆のことをやっている。これを変えていきたい。
天野:真逆とはどういうことでしょうか。
工藤:学校がやるべきことは、生徒が自ら考え、判断し、決定し、自ら行動できる、つまり自律する力を身につけさせることです。ところが、学校は手取り足取り丁寧に教え、壁にぶつかれば手を差し伸べ、けんかをすれば担任が仲裁に入り仲直りさせる。このような教育をされた子どもたちは、大人になってからも、何か壁にぶつかると、「先生が悪い」「学校が悪い」「社会が悪い」と人のせいにするようになってしまいます。
天野:なるほど。様々な改革の全ての目的は「生徒を自律させる」ことにあると。
工藤:そのとおりです。「生徒の自律」という上位目的に照らし合わせて、意味がないと思った規則や“学校のあたり前”を一つひとつなくしていきました。麹町中学校には服装頭髪指導も、宿題もありません。
天野:中間テスト・期末テストも廃止され、代わりに単元テストと年5回の実力テストを行っていますね。これは思い切った改革だと思います。
工藤:中間テスト、期末テストは、本来は生徒の学力を上げるためにやるものです。ところが実態は、教師が生徒の成績をつけやすくするためにやっている。定期テストは、点数で生徒を序列化して通知表に1~5をつけるのに都合がいい仕組みなんです。
生徒にとってテストの目的は、自分が何をわかっていないかを知ること。ここがわかっていないんだとわかれば、自分で調べたり人に聞いたりしてわかるようにする。テストはそのための道具であるべきです。ところが、生徒たちにとっては、いい成績をつけてもらうために、点数を上げることが目的になっている。一夜漬けの勉強で点数をあげてもその知識は身につかない。
代わりに行っている単元テストは、一つの単元が終わることに実施し、間違ったり、わかっていなかったところは人に聞いたり自分で調べたりしてわかるようにして、再テストに臨む。1回覚えただけでは定着しないから、繰り返し勉強して自分のものにする。
単元テストは、学んだことを理解するだけでなく、自分で調べ、考え、繰り返して定着させるという学びのスタイルを、自分なりに身につけていく手段でもあるのです。
天野:生徒たちの反応はどのようなものでしたか?
工藤:始まったばかりの頃は少し動揺していた生徒もいましたね。毎週のように何かしらのテストがあるのですから。でも、その後、通知表を受け取ってからは、空気が一変しました。なぜなら、ほとんどの生徒の成績が上がったからです。今の成績表は絶対評価ですから、ちゃんとテストができれば全員が5になる可能性だってある。
しかし、大事なのは評定ではなく、自ら学んで理解できた、ということです。
天野:全員担任制も思い切った試みだと思いますが、なぜ固定担任制を廃止したのですか? どのような効果があったのでしょうか。
工藤:発想のもとはチーム医療の考え方です。先生方それぞれの得意分野を持ち寄って、子ども一人ひとりに最適な教育をする。教科の専門性だけでなく、保護者対応が得意な先生、生徒に寄り添うのが上手な先生、ICTに長けた先生、それぞれの得意を活かして学級経営をすればいい。
従来の固定担任制では、教員はテストのクラス平均点だったり、運動会や合唱コンクールなどでの勝ち負けなど、他クラスの教員との相対的な比較の中で評価されがちです。そのため、過剰にきめ細やかに支援を行おうとしたり、極端な指導に出てしまい、結果として独りよがりの学級王国にしてしまうこともあります。一方、生徒はどんどん受け身になっていきます。何かうまくいかないことが生じても、あの先生が頼りないからクラスがまとまらないとか、教え方が下手だから勉強がわからないんだとか、うまくいかない理由を担任の先生のせいにしてしまうようになっていきます。
全員担任にしたことで、クラスはもちろん職員室の風通しは劇的によくなりました。チーム全員で教員それぞれのよさを生かして、生徒に寄り添った支援ができるようになりましたし、担任一人ですべての責任を背負わなくてはならいないという気負いもなくなったことで、逆にそれぞれが冷静に生徒の一人ひとりの問題にしっかりと目を向けることができるようにもなりました。
天野:このような大改革は、大変ではなかったでしょうか。反対はなかったのでしょうか。
工藤:私も最初から大きな変革をしようとしたわけではありません。着任してまずしたことは、小さな改善です。はじめは、現場の先生、生徒、保護者たちから、学校の何を改善してほしいか、意見を集めることからでした。最初は意見というより苦情が多かったのですが、すぐに改善されるとわかると、「次は何が変わるんだろう」とみな期待するようになり、前向きな意見が出るようになりました。
リストづくりは、学校に関わる人たちみんなで取り組みました。私が単独で行えば、それはやらされ仕事になる。やらされ仕事なら不満や反発はあるかもしれませんが、生徒も教師も保護者も皆、自分事として学校の課題に取り組んでいる。だから表だって文句が出ることはありませんね。
天野:なるほど。当事者意識がポイントなのですね。
工藤:この改革において私がしたことはシンプルに2つだけです。まず、大きな目標を掲げること。次に、それを自分事として、自分たちで達成できるよう道筋をつけること。
大きな目標とは、言うまでもなく、子どもたちが自律して、社会の中でよりよく生きていけるようにすることです。
天野:今後、ほかには、どんなことを変えていこうと思っていますか?
工藤:現在の学校は、非効率的な場所だと思います。それを解消したい。
たとえば、子どもたちは学校で勉強して、塾でも高いお金を払って勉強している。世の中では働き方改革が叫ばれている状況なのに、教育は全く非効率だと思いませんか。
ハード面でも音楽室や体育館などは稼働率が低く、非効率だと言わざるを得ません。
学校をもっと効率的に有効に活用するためには、学校の機能をもっと小さくしていく必要があると考えます。授業を午前中で終わるぐらいカリキュラムを圧縮する必要もあるでしょう。美術や音楽、体育などは専門家に任せ、生涯教育としての役割を明確にしていくことも大切だと考えます。施設を専門の民間機関に委託すれば、施設の有効利用も可能になるでしょう。当然、部活動も、専門家による適切な指導が期待できます。
さらに、放課後から夜間にかけては、一般の社会人を対象に音楽教室やスポーツジムを開く。そうすれば学校施設を有効に使うことができるだけでなく、利益を生むこともできますし、新たな雇用を生み出すことも可能になるのではないでしょうか。
もし、公務員の副業が認められるようになれば、日中8時間勤務したあと、外部委託先の社員として放課後の部活指導をするという働き方もできる。教員以外でも、ボランティアではなくてお金になるのならやりたいという人はたくさんいると思いますよ。
天野:ニュージーランドは未来教育指数が世界1位(出典/”Worldwide Educating for the future Index” of Economist Intelligence Unit(EIU)2017“) に選ばれて話題になっていますが、ニュージーランドの学校を視察したとき、まさに、そういう仕組みで学校がコミュニティの中核として機能していました。日本でもそういうことが可能だといいですね。
工藤:昔、学校は最先端の知識や技術を学ぶ場所でした。しかし今の学校は技術革新に全くついていけていない。たとえば慶応大学のFSCのように、先進的な企業と協働して問題解決をしていくといった学び方がもっとできるといい。
天野:確かに海外でも、従来の一斉指導型の授業に代わって、企業と提携してプロジェクト型の学習をするという授業スタイルが大変増えています。
工藤:寺子屋のような昔の学校では、生徒が自分で学ぶのが基本でした。わらかないことがあれば、わかる子や上級生に聞いたり、先生に聞いたりしていた。自習と学び合い、今でいう“主体的な学び”が基本だったのです。今のような一斉指導型授業の歴史はたかだか150年程度。その間に、生徒の“主体的な学び“が、一方的に教えてもらうだけの“受け身の学び”に変わってしまった。
天野:今の若い人たちは、そういう教育システムの中で先生の指示に従うように育てられ、今になって、それではだめだ、主体的になれと言われ、戸惑っている。
工藤:その発想がすでに“受け身”の発想。受け身の生徒は、できないときは、先生のせい、学校のせい、社会のせい、と人のせいにする。
今の教育システムの中でも、サイボウズの青野慶久さんのようなユニークな人が出ているのだから、自立した人間に育とうとすればできる。外国の教育はいい、と比べるから不幸になる。よそと比べるのはやめて、今の状況の中で何ができるかと考えることから始めないと。
天野:確かにそのとおりですね。工藤先生が学校の教育目標に掲げている「世の中ってまんざらでもない! 大人って結構素敵だ!」に通じるものがある気がします。われわれ大人が、今の社会の中で、もがきながらも自分らしさを発揮して魅力的な生き方を見せていくことが大事なのかもしれません。今日は、お忙しい中ありがとうございました。