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ドイツ北東部に位置するベルリンは、1989年にドイツを東西に分断していたベルリンの壁が崩壊し、再びドイツの首都になり、今ではヨーロッパの中心に位置する世界都市になっています。壁が築かれてから28年間通過することのできなかったベルリンにあるブランデンブルグ門は、ドイツ再統一のシンボル。統一後には世界中から多くの観光客が訪れています。そして壁にはさまざまなアーティストが作品を残していることでも知られています。
また、町の中心にある博物館島は世界遺産にも指定されており、ボーデ博物館、ペルガモン博物館、新博物館、旧ナショナルギャラリー、そして旧博物館の5つをまとめてベルリン博物館とも呼ばれています。 さらに、忘れてはいけない歴史。ユダヤ博物館では、2000年にもわたってドイツに生きるユダヤ人の歴史を学べます。
ベルリンにはさまざまな民族の人が住んでおり、外国人に対しても理解があり寛容な人が多い都市です。また、国際的な街としても知られており、世界的なイベントが開催される場所でもあります。
ベルリンは、夏でも30℃を超えることは少なく快適です。しかし、冬は長く厳しい寒さの日が続きます。
ドイツの主要都市の中でもベルリンは犯罪発生率が高い都市と言えます。特に窃盗事件が増加しているので、空港や駅、また繁華街などでは持ち物に十分気をつけましょう。
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出典: ・ドイツ観光局 ・Weather Spark ・外務省 海外安全ホームページ
ベルリンの壁はドイツの歴史を知る上で必要不可欠とても重要な存在です、その歴史に直接触れる為に、今でも多くの人々がベルリンの壁を訪れます。
【歴史背景:ベルリンの壁】
第二次世界対戦でナチスドイツが敗北した後、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国がドイツを東西に分け統治しました。1961年から1989年までの28年の間、「ベルリンの壁」を境に、ソ連が「東ドイツ」を、米英仏の3カ国が「西ドイツ」を統治しました。
家族に会いに行く為に壁を越え他方に脱走した者は射殺、もしくは有罪判決を受けるなど、残酷な争いが繰り広げられていました。 閉鎖から28年後の1989年11月9日ベルリンの壁は崩壊しました。壁によじ上り、ハンマーで壁を壊すなど自由を叫んだドイツ国民たちの姿は全世界で報道されました。
ベルリンの壁が崩壊した現在は、文化財として壁の一部が保存され、さまざまなアートが施されたオシャレな壁と姿を変えていますが、改めて歴史を振り返るとベルリンの壁が持つ深刻で悲劇的なオーラを未だに感じ取ることができるのではないでしょうか。
ベルリンの壁に続いてご紹介するのは「ブランデンブルクの門」です。プロセイン時代当時、ベルリンを囲う税関壁として建てられました。プロセイン王族がベルリン市街を出る際に通過していた、街の象徴的存在の門です。
【歴史背景:ブランデンブルクの門】
「ブランデンブルク門」の上にそびえ立つのは勝利の女神「ヴィクトリア象」。実はこの女神、一度盗まれるという事件にあっています。フランスの英雄である「ナポレオン・ボナパルト」がベルリンを支配した際に、戦利品としてフランスに持ち帰られ、盗まれてしまったのです。しかし、その後の「ナポレオン戦争」の際にプロセインがナポレオンに勝利し、再びこの象を取り戻し、ブランデンブルクの門に戻したそうです。
ブランデンブルクの門が「勝利の凱旋門」と称される理由はそんなプロセイン時代の歴史背景があるのですね。ぜひ「ヴィクトリア象」をベルリンで実際に見る時には、この事実も思い出してみてください。
ベルリンから行けるナチスの爪痕 〜知ることの大切さ〜
【歴史背景:ナチスの強制収容所】
最も有名な強制収容所はポーランドの「アウシュビッツ強制収容所」かもしれませんが、ドイツにも「ザクセンハウゼン強制収容所所」があります。この収容所は、ナチスドイツ時代にヒトラーの指令により、政治犯に関わっていた共産党員や社民党員が収容された後、多くのユダヤ人が収容され、餓死、拷問、殺戮されることとなった悲劇の強制収容所の一つです。
ベルリンから約1時間弱、のどかな住宅街を抜け閑散とした場所にそれはあります。入場無料で、音声ガイドは英語のみにはなりますが3ユーロで貸し出しているので、説明を聞くとさらに歴史にぐっと近づく事ができるでしょう。 このような場所はドイツの暗く残酷な歴史の一部ではありますが、学校の教科書からは学びきれない生の歴史を感じることはとても大切です。興味のある方は是非、足を運んでみてください。